SILVER RAIN

自身を取り巻く環境と人間模様の雑記です

情けない話ですが

他人から誤解されやすいという自覚がある人はいませんか?俺はそのタイプです。

おまけに弁明もしないので、更に始末に負えません。

だって面倒じゃないですか。

言い訳することで正当化のように受け取られるのも嫌だし。

だから黙っていても解ってくれる仲間だけいればいい、そんな風に考えていました。

「いました」、つまり過去形です。

そんな考え方は、廻りまわって自分を破滅に追い込むということが分かったからです。

 

黙っていても理解して貰える相手は確かに貴重な存在です。「理解して貰うための言い訳も努力も不要」という居心地の良さが保証されているからです。それって自身と同じ傾向を持つ人間だからこそ、という感は否めず、なんだかんだいって結局は「相容れぬ者に深い関わりを持つのは面倒臭い」という理由で、自分に近い人とだけ関わるという、非常に偏った人間関係を構築して来ました。

言い換えれば、”自己の延長”と付き合って安心していたのかもしれません。

 

しかし当然の事ながら、相互理解の努力が必要になる相手も居ます。この付き合いをどうするか、とても悩んだことがありました。

その相手とは、どうしても反りが合わず、苛々するばかりでした。勿論そうでない時もありましたが、あの頃の俺は、相手のやる事為す事全てを否定的に捉え、

それはやがて、付き合いを止める切っ掛け探しに変わって行きました。そう、責める理由さえ見つかれば、俺には一分の非もなく相手を断罪出来る、そんな気持ちでいたのです。

 

………

その日は突然やって来ました。

ここぞとばかりに鬱憤を放出、相手の数々の言動にどれほど我慢を重ねて来たかをぶち撒けました。

当然、相手との関係もそこでジ・エンド。

もうこの相手に悩まされることはない、二度と関わるものか、これでやっと落ち着く。良かった良かった。

と、思ったのも束の間。

自分から突き放しておいて後から様々な思いが湧き出て来ました。

本当は俺が悪いのでは?このまま永遠に交わらないでいいのか?

相手の居ない未来を想像すると、とんでもない虚無感に襲われます。

己の言動を反芻する余裕が出る頃には、自分の主張こそが理不尽だったことに気付いてしまい、羞恥心と後悔で気が狂いそうになりました。

 

相手と反りが合わないのは確かです。でも気になって仕方がない。どこで何をやっているのか、気付けばいつも考えているのです。

それだけ頭を占有している人に、あの時は済まなかったと謝る勇気もないんです。

出来るならば大雑把に全てを謝るのではなく、ひとつひとつ拾い上げて懺悔して許されたい。

なのにチンケな自尊心が邪魔をするのです。加えて、相手から歩み寄って欲しいという甘えた考えが、この期に及んでもまだあるんです。俺とは二度と関わりたくないと思っているはずなのに、どこかで一縷の望みを捨てられないでいるんです。

 

 

もし似たようなことで悩んでいる人がいるなら、俺のようにドツボに嵌る前に引き返して欲しいと思います。

待っていればきっと連絡が来る、戻って来てくれる、元通りになる、なんて幻想ですから。現実は漫画やドラマのように劇的な展開なんてそうそうありません。平行線は永遠に交わらないし、心が遠くに行ってしまった人はずっと遠隔地の住人になります。

か細くても繋がる糸があるなら、必死で手繰り寄せてください。

俺は自分が引っ張ったのだと悟られるのが恥ずかしくて出来ませんが、そこを乗り越えられる人なら、諦めないで欲しいです。